眠れない夜に考えること

よく、「みんなのために」って言葉を聞くが、
これは結構難しいものに思える。
一般に、
特に私的性の弱い場合、それは全体の最大公約数をとることに求められているようだ。
最大多数の最大利益。
その為には個々の個別具体性が衝突しないような、
ギリギリの抽象的なラインでの合意が望ましい。
対して私的な度合いが強い場合、経験上、そういった合意による行動の制限がかえって全体の士気を下げる。それは本当にみんなのため?
前者の場合はその制限による調和こそが目的である場合がほとんどだろう。
しかし後者の場合、むしろそうした制限をとっばらった方が目的を達成しえる。つまり、みんなが楽しむということ。
この場合、全体の調和のための制限より、
各々の勝手を許す寛大さを全体が共有したほうがいんでない?
人それぞれなんだろうけど。